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当宮鎮座の翌々年の天暦五年(951年)に鉾流神事が始まったと伝えられます。 これは社頭の浜から神鉾を流し、その漂着した地を斎場と定めて、そこに神様を御迎えする神事です。 鉾流神事は、 鉾に託して「穢(けが)れ」を祓(はら)うとともに、年に一度、神様が氏地を巡見されるという 意味合いも持っています。この神様のお出ましを奉祝するために「天神祭り」がはじめられたのです。 ところが、寛永二十一年(1644年)の還御後は、常設の斎場(御旅所)が設けられたため、鉾を流す必要 がなくなり、神事は途絶えてしまいました。しかし、昭和五年(1930年)に至って鉾流神事が復活され、 現在も古式ゆかしく斎行されています。 |
神様に氏地の平安を御覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが陸渡御・船渡御の始まりです。 陸渡御列の中心は、 神霊を奉安する御鳳輦(ごほうれん=御守護神様が御乗りになられた御車)ですが、 この前後を催太鼓や神輿(みこし)、神具、牛車、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。 かつての氏地各町では、地車(だんじり)を曳いて神様の渡御を悦びましたが、安永九年(1780年)には八十四輌もの 地車が宮入りした記録があります。現在では、一輌だけ残った三ツ屋根地車が渡御列に御奉仕しています。 |
江戸時代には、氏子・崇敬者の仕立てた数多の船が、舳先(へさき)に御迎人形を立て、 意匠を競って船体を飾り立て、御旅所へ御迎えの船列を整えました。 昭和十二年(1937年)の船渡御列は、二百艘に達したといいますが、現在は警備の都合もあり、 約百艘に制限しています。 昭和二十八年(1953年)、地盤沈下により橋桁が下がって船列の航行に支障が生じたために、 それまでとは逆方向に大川を遡行するというコースの大変更を行い、現在に至っています。 |